はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

父を自殺で亡くした私に何ができるか

 先週は自分の気持ちがぐちゃぐちゃに大きくなりすぎて、壊れてしまいそうだった。 息が詰まりそうで、深呼吸をしてみても、息が詰まりそうで、本当に苦しかった。
 
 父が死んでから、初めて知った感覚がたくさんある。爆発しそうなほどの悲しみに叫び出してしまいそうな感覚や、自分は狂ってしまうんじゃないか、自分をもう保てないかもしれないという感覚、そして、絶対的な後悔。
 
 今の私はぎりぎりのところで、なんとか生きている。今となって思うことは、以前の私は何も考えずに生きていたんだなぁということ。逆に言えば、何も考えずに生きていられた。それは一つの幸せであったけれど、今はもう、違うみたい。
 
 考えることは苦しい。時にそれ自体に押しつぶされそうになってしまう。けれど、考えることは救いにもなりうる。今の私にとって、「父を自殺で亡くした私に何ができるか」というテーマは大きなものとなっている。これは、わかってあげられなかった父に対するせめてもの償いであり、その償いを通して私自身の後悔を浄化しようとしているのだと思う。
 
 でも、今さらそんなことをしたって父は戻って来ない。そんなことはもちろんわかってる。でも何かできないかと考えて行動しなければ、どうにかなってしまいそうなのだということも事実で、こんな風に何ができるかを考え、それを実行していくことは私がこれからを生きていく理由になるし、心の拠り所になる。そんな風に思っている。
 
 
 以下、 私に何ができるか、考えてみる。
(あくまで今の私の気持ちです。自死遺族の方全てが同じように考えているわけではないと思います。)
 
 
①父のことを思い出す。
 父のことを思い出してあげられるのは、私たち家族だけだと思う。
 
②考えることを放棄しない。
 後悔も多いし、苦しいけれど、それを含めて考えることは放棄したくない。その後悔にも、私は向き合いたいし、向き合わなくちゃいけないって思う。まだまだ、このブログに書けていないことはたくさんあるように思う。だから、少しずつになるかもしれないけれど、書いていきたい。それが私自身の救いになるかもしれないし、誰かのためになるのかもしれない。
 
③生きることを肯定する。
 感情を大切にして、自分の生を精一杯生きる。

harumaki12.hatenablog.com

 

④家族を大切にする。
 母、祖母、兄。今までは、家族は当たり前にいるものだと思っていた。けれど、そうじゃなかった。今、この時を大事にして一緒に過ごすことができるようにしたいし、感謝や気持ちは伝えられるその時に伝えたい。
 
うつ病認知症、自殺、心理学について勉強をする。
 私はもう、大切に思う人を失いたくない。愚かな私はきちんと気づいてあげられなかったのだけど、父はうつ病認知症、あるいはその両方の可能性があった。きちんと勉強をして、もし仮に自分の大切な誰かが困難な状況に陥った時、少しでも支えになれるようになりたい。産業カウンセラーとかの資格取得を目指すのもありかななんて思ってる。
 
⑥自殺に関連する団体や活動に参加する。あるいはその活動の支援をする。
 私はこれまでに自死遺族の当事者として、自死遺族会自死遺族が集まって話をする自助グループ)へ3回、電話での自死遺族相談へ1回、面接相談へ1回参加しています。また、自死遺族を支援するための知識を勉強するセミナーへ1回、いのちの電話運営ボランティアの方による講演へ1回、参加しています。
 いずれ詳しく書きたいと思っていますが、私は自死遺族会と電話相談に救われました。だから、自死遺族会に参加することはしばらく続けていきたいと思っています。そして、ゆくゆくは、ボランティアや寄付でそのような活動の支援をすることができたら良いななんて思っています。
 
⑦職場での配置転換。
 父が楽しみにしていたことに携わることのできるチャンスが職場にある。また、仕事として⑤、⑥に関わることのできる可能性もあるので、そのような部署への配置転換を願い出ることを考えている。
 
 
 以上、個人的なもの、普遍的なものを色々と書いてきたけれど、結局、私には、私自身のためにこれを考える必要があるのだと思う。人格のしっかりした良い人なんかでは決してなくて、それは私の後悔を和らげるためのものだから。私はこれからを生きるために考える必要があり、それを実行する必要がある。そうは言っても、まだまだ心が追い付かない部分も多いので、無理せず、ゆっくりと生きていきたい。