はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

「父の自殺の兆候に気がつくことができなかった私」がいま思うこと

父を自殺で亡くした自死遺族である私が思うことを書きます。
ただ、私は専門家ではありませんし、あくまでこれは、「父の自殺の兆候に気がつくことができなかった私」が思うことです。どうかご理解ください。
私は父を助けてあげられなかった分、大げさだけど、自分の体験を語る義務があるように思っています。それに、自分勝手だけど、書かないと私は私自身の気持ちを落ち着けられないようにも感じています。

同じ人が一人としていないように、一つとして同じ自殺はありません。その上、会って話したことのない方の自殺について書くだなんてそれは憶測の域を出ることはないように思うので、本来は触れるべきではないと思っているのだけれど、三浦春馬さんのニュースを聞いて、気持ちが大きく落ち込んでいる人間の一人として、私の体験を書く前に少しだけ、彼の自殺を聞いて感じたことを書いておきたいと思います。

ニュースを見て衝撃でした。年齢が近いということもあるし、知っている方(テレビ等で一方的にですが)の自殺は本当に悲しいです。なんで?と思ってしまうし、死なないで欲しかった。生きていて欲しかったとも思ってしまいます。でもただ、それは私の側からの一方的な考えで、彼は一生懸命に生きていたのだと思うし、想像でもしこうだったらとか、そんなこと書きたくないし、書けない。だからただ、すごく頑張った分いまはゆっくり休んで欲しい。そんな風に私は思います。

自殺について話す時、「周りは気がつかなかったのかな」とか、そんな言説があります。
この「気がつけなかった」「助けられなかった」ことについて、私はなぜ父の自殺について気がつけなかったのだろうとずっと考えています。そして後悔しています。
私は気がつくことができませんでした。「今」思えば自殺の兆候だったと思えることはあっても、当時それを自殺の兆候だと思うことが私にはできなかったのです。父が自殺をした時、私は1人暮らしをしていたので、時折帰省した際の父しか知らなかったのですが、66歳の父に「最近よく眠れないんだ」とか、「目標が無くなった」なんて言葉を直接聞いていたのに、好きだったカラオケや俳句の教室を辞めたことを母から聞いていたのに、私は父の自殺の兆候に気がついて父を助けることができませんでした。その上私は、「元気が余ってるんじゃないの?運動でもしてみたら」とか、「また教室行ってみたら良いじゃん」とか、そんな言葉を投げかけるだけで、父に向き合うことができませんでした。本当に後悔しています。
なぜ私は父に向き合うことができなかったのでしょうか。
これに尽きると思っているのですが、父が自殺という選択肢を持っていると思わなかった、という私の思い込み。父の言葉を軽く見ていたのです。父の様子や、お風呂から上がって上半身裸でいる父の背中を見ていて年を取ったなぁとは思っていましたが、私は父が自殺するなんて、父が自分の首を絞めるなんて、ほんの少しも、考えたことすらありませんでした。さらに言えば、父は「自殺」という言葉を知らないのではないかと思えるような人だと私は思っていたのです。ただこれは、そんな風に考えていた私自身の、父を思いやることのできなかった、そして、「自殺」というものを、父の自殺の原因となったと思われる「うつ病」について(自殺の少し前、一緒に暮らしていた母には頭がおかしいと話していて、病院へ行こうとしていた矢先に父は自殺しました。)何も知らなかった私の問題なのだと思っています。私は無知で愚かでした。

私は気がつけなかったし、助けてあげられなかった。後悔してばかりです。私はこの後悔を一生抱えて生きていくのだろうと思います。
でも、私はこの今をも生きいかなくちゃならなくて、そんな私がこれからを生きるために考えることがあります。それは、二度と大切な人を自殺で失いたくないということです。今の私で言えば、父の自殺に大きな影響を受けているであろう母や大切な友人のことになるのですが、そのためにどうしたら良いのか、3つくらいあるのかなと私は考えています。

①自殺は私たちの身近にあるということを意識する。
自殺というものがあることを私は当然知っていました。でも、それを身近で起こりうるものだという想像力が私には欠如していて、だからこそ父の自殺の兆候に気がつくことができませんでした。だから、少し大仰かもしれないけれど、誰でも自殺をする可能性があること、それを意識していることは大切だと思っています。自殺には無縁のように思える人だって突然に自殺してしまう可能性があるのです。ただそれは、あくまで気がついていない私にとって「突然」だったということであり、ひょっとすると、父は自殺というものを長い間考えていたのかもしれません。

②自殺やその原因となるうつ病などの知識を身に着ける。
もしもの時はいつ来るかわかりません。ただ、その時に知識があれば、大切な人を救うための大きな武器となりえます。私の例で言えば、父の「よく眠れない」という言葉や好きだったカラオケや俳句の教室を辞めてしまったことに、知識があれば、これは明らかなうつ病の症状の一つであるので、もっと早く父を病院へ連れて行くことができたかもしれません。その言葉を聞いたのは自殺の3~4か月前で、教室を辞めたのは半年ほど前でした。
これは父に対する後悔と表裏一体で知識を身に着ける過程が辛いなぁと感じることもあるのですが、ほんの少しずつでも、私は色んな勉強をしていきたいと思っています。下記は大切な人の悩みに気づき、支えるという趣旨の「ゲートキーパー」に関しての政府のページです。

政府広報オンライン「あなたもゲートキーパーに!大切な人の悩みに気づく、支える」
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201402/2.html

③気にかけ、時間を共有する。
父の死後、父の死に対する後悔と母を同じように失いたくないという気持ちから、私は実家に戻り4か月間ほど母と一緒に暮らしました。仕事との兼ね合いもあり、今思うとよくやったなぁと思うのですが、一緒にいることで自分自身も癒され、本当にそうして良かったと思っています。正直、父が自殺する前であればそんな決断はできなかったし、しなかっただろうと思うのですが、もう後悔したくないという気持ちが強くなったのです。今は1人暮らしに戻っている上に、コロナの影響で実家へ帰ることができなくなっているのですが、電話をしたりして時間を共有したいなぁと思っています。

ここまで父の自殺に対する後悔と、これからをどうやって生きていきたいかを書いてきました。
書いてきたように私は二度と大切な人を自殺で失いたくないと思っているのですが、一方で、自殺の兆候を察知してケアすることはとてつもなく難しいことだとも思うのです。
なぜなら、一つとして同じ自殺はありませんし、最初に書いたように自殺に至るまでの経緯は一つとして同じものはなくて、私の場合、私の父の自殺を知っているだけだからです。父の場合は、死にたいという希死念慮を周りに漏らしたことはありませんでしたし、一度目の自殺企図で自殺してしまいました。父の自殺の直前に今の私が戻れるのであれば、少なくとも一時的には父の自殺は止められるかもしれません。でもどんな風に考えても、当時の私には父の自殺を止められなかったと思いますし、これから別の誰かの自殺を止められるかと考えると、正直私には自信がありません。
また、あまり良くない考えかもしれないのですが、誰かの自殺を止めるということにおいて、その誰かとの関係性も大きな要素なのではないかなと私は思っています。上にあげたゲートキーパーのページであれば、例えば職場での声掛けなんかも想定されているようなのですが(もちろんそれができればそれが良いと思います。)、自殺という選択肢に直面している当事者の方と生きるとか死ぬとかの深い部分で話をすることができる人って家族や恋人、あるいはかなり親しい友人くらいなのではないかなと思ってしまうのです。
だから、一人や二人でも良いと私は思うのです。本当に大切にしたいと思える人と一緒に生き、その人が傷ついた時や苦しんでいる時にはそばで支える覚悟を持つこと。そんな覚悟を持って私はこれからを生きていきたいと思っています。

なんだか理想ばかり書いて長くなってしまいましたが、私はそんな高尚な人間ではないですし、実態に即していないかもしれません。でも少なくとも、今の私はそんな風に考えたということをここに記録しておきます。