はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

5年

5年になる。5年かぁ。この1年はとても色々なことがあってすごく長かったように思うけど、いまだに父が自殺をした実感があるかと言えば、それはない。変な感じだな。そういう実感はないけど、時間は過ぎていくし、それが事実だし、自分の人生も動いていく。以…

ベクトル

私が自死遺族として考えるとき、どこにベクトルがあるのだろうと考えた。場面によって当然に異なるけれど、いくつかあるように思う。 ①自死した父に対して②家族に対して③自分に対して ㋐今の自分に対して ㋑苦しかったあの頃の自分に対して④父ではない他の自…

想いは変わる

明確に、自分のいるステージが変わってきているように感じている。 最初にこう感じたのは、私がやっているイベントでのこと。このイベントは想いを話し、想いを聞くことでなんとなくすっきりした、あたたかい気持ちになったと思える場を作りたいと思ってやっ…

4年

今日で4年が経つ。 今日、たまたま、大学院の講義で過労自殺を扱う講義があって、講義の中で10分ほど、遺族の方のメッセージを弁護士の先生が代読する場面があった。事件は本当に悲しいもので、聞いていて涙が出てしまった。 その後、母と30分ほど電話で話を…

当事者であること

当事者であることには特有の力がある。 私が自死遺族の当事者グループへ行って話をし、話を聞くことで救われたような気になれたり、気持ちの整理をしていくことができたのは、そこが、大切な人を自死で亡くした当事者のグループであったからだと思う。 大人…

刹那的に生きること

おとんが死んでから、EDMが好きになった。 最初に好きになったのは、アヴィーチーのdear boyで、今も一番好きな曲。 なぜこの曲を聞くに至ったのかはわからないけど(たぶんYouTubeのしわざ)、何度も繰り返されるリズムや動画の光の明滅が、その時の私にはと…

しかしこの死のなかには何ら悲哀はなく

僕は、この鎌で麦を刈る人のなかに ―—炎天下、自分の仕事をやり遂げようと悪魔のように闘う朦朧とした姿のなかに―— 死のイメージを見ました。人間は刈り取られる麦のようだという意味です。(・・・・・・) しかしこの死のなかには何ら悲哀はなく、 それは…

「弱さ」へのまなざし

父を亡くして半年あまりの頃、私はわらにもすがる思いで自殺に関する本を読んでいた。 その時に出会った本に、木原活信・引土絵未編著『自殺をケアするということー「弱さ」へのまなざしからみえるものー』というものがある。カバーにある内容紹介によれば、…

無題の日々

巨人が勝っていると機嫌が良かった。ような気もするけれど、野球を見ていてもそんなに楽しそうでもなかったような気もする。おーい、朝だよーいと起こしてくれた。何か言いづらいことがあると、ん、ん、ん、ん、と言葉に詰まってた。何か新しいことを知ると…

自死遺族支援セミナー

先日、自治体が主催する自死遺族支援セミナーへ行ってきた。 とても良いセミナーだった。本当に良いセミナーだった。 ちょうど3年前も、夫を亡くして自死遺族となった母を支えたいと思った私は、同じように自死遺族支援セミナー(多分、毎年講師を変えて行っ…

3年

3年が経った。命日の前日の夜、実家へ帰った。いつものように、母に車で駅へ迎えに来てもらった。そのあと、家で母と生協で頼んだ豚の角煮を食べた。当日、私は午後からオンラインで大学院の講義を受ける予定だったから、午前中にお墓参りに行こうということ…

いまここで、このいまを

昔から、たくさんの人が、私たちにとって唯一大切なことは生きているこのいまなのだと、そう説いてきたと思う。それに、そんな情報が今の世の中にも溢れてる。 私もそんなものの受け売りではあるけれど、大切なのは、私が、私の人生を、いまここで、このいま…

自分の限界

「みかげはみどころありそうだから、ふと言いたくなったのよ。あたしだって、雄一を抱えて育ててるうちに、そのことがわかってきたのよ。つらいこともたくさん、たくさんあったわ。本当にひとり立ちしたい人は、なにかを育てるといいのよね。子供とかさ、鉢…

父の自殺とインターネット

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」 " data-en-clipboard="true">2018年11月父が自殺した。 父の自殺は私の人生で最も衝撃的なできごとで、それからしばらく、私は正解を求めてインターネットをさまよった。 結論から言えばここに正解な…

どこまで

どこまでが自死遺族としての記録となるのだろう。そんなことを思ったけれど、きっとそれは、おとんが死んでからの人生すべてということになるのかなぁ。 父が死んでからのとても苦しい期間を経て、この4月に私は大学院生になりました。法科大学院。なぜ法科…

これから

2018年11月に父が自殺してから2年と5か月が経ちました。すごく苦しい時期もあったのですが、これまで私はなんとか生きてきました。私にとって父の自殺は人生において最も衝撃的なできごとで、今、私の人生は大きく変わりつつあります。今日はそのことを書い…

すべてがわかったような気のする

ときがあって、すぐにまたわからなくなる。なんとなく気分の良いときがあって、なんとなく気持ちが沈むときがある。ずっとここにいるような気がしてくる。 あ、大丈夫かもしれないと思った。けれど、大丈夫じゃなかった。これは元々の自分の性質なのか、違う…

やさしくてあたたかな気持ち

少し前、仕事の関係でFACEBOOKのアカウントを作らなくてはならなくなった。 SNSは苦手だから嫌だなぁと思っていたけれど、登録してみると、おとんのFACEBOOKが出てきた。 おとんがFACEBOOKをしていたことは知らなかったけれど、なんとなく、あそっかやってた…

生きる理由

なんだか同じようなことを書いている気がします。 でも仕方がありません。それでも良いのです。 コロナ禍で開催されなくなってしまったことをきっかけに、私はそれまで10回弱も参加していた自死遺族の分かち合いに参加しなくなっていたのですが、先日、オン…

2年

2年が経った。おととい3回忌をした。亡くなった年を1回忌、次の年が2回忌、今年が3回忌となり、現実に経過している2年間と感覚は異なるのだけど、今回行った法事は3回忌なのだという。コロナウイルスの影響で親戚などは呼ばず、母、兄夫妻とその子ども、私、…

近いからこそわからないことがあり、遠いからこそわかることがある

私は父を自殺で亡くしてから、もう大切な人を自殺で亡くしたくないという思いや、父の自殺の兆候に気がつけなかった後悔のために、自殺やうつ病について少しずつではありますが勉強しています。その中でゲートキーパーというものがあることを知り、先日研修…

「父の自殺の兆候に気がつくことができなかった私」がいま思うこと

父を自殺で亡くした自死遺族である私が思うことを書きます。ただ、私は専門家ではありませんし、あくまでこれは、「父の自殺の兆候に気がつくことができなかった私」が思うことです。どうかご理解ください。私は父を助けてあげられなかった分、大げさだけど…

生きることの目的

あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。ひとの眼というより、兎の眼だった。それはいのりをこめたように、ものを思うかのように、静かな光をたたえてやさしかった。(略) 小谷先生がみな子をあずかる決心をしたのは、バクじいさんのあのすさまじい話を…

父の気持ち

私の父は2018年11月に自殺しました。それから色んなことをこのブログに書いてきました。以前に比べて自分が不安定になったと感じていますが、時間が経ち、爆発しそうなほどの感情を覚えることはほとんどなくなってきました。今日は、自殺に至った父の気持ち…

感情の抱え方について

先日、カウンセリングへ行ってきた。地域の繁華街にあるビルの一室を利用して営業しているような、そんなところ。時間は1時間20分で、初回割引が効いて9000円。こういったところへは初めて行ったのだけど、行って良かったとは思ってる。ひょっとしたらもう一…

感情を喚起するもの

昨日、ある仕事の打ち上げがあった。 その打ち上げに来るほとんどの人は気安い関係であるのだけれど、少しだけほとんど知らない偉い人がいた。事前に一緒に行くみんなと「行きたくないね」なんて話していたのだけど、みんな行きたくないと思っているのだし、…

清算は済んだ。今は少し休もう。

本当に清算が済んだわけではないのだけど、いまはすこし、父のことを考えることを休むことにしました。 この考えに至ったのには、2つきっかけがあります。 1つ目はインフルエンザになったこと。昨年のクリスマス前後、私はインフルエンザになりました。病…

自死遺族である母と私と祖母の関係

父が自殺をして1年が経ったけど、時間の経過によって何も変わらないし、むしろ時間が経つほどに悲しみが積もっていくようです。最近はこんなことばかり書いていますが、私が考えていることは堂々巡りを繰り返しているので、仕方がないのかなぁとも思います。…

命日と後悔と

先日、父の命日でした。 母に確認すると、「たまたま休みになった」ということでしたので、平日でしたが私も休みをとって前日の夜から実家に帰ることにしました。その日は、父のお墓と仏壇に備えるための花を母と買いに行き、父の墓参りにいきました。その後は…

私が父の自殺について話し始めた理由

昨年の11月、私の父は首を絞めて自殺しました。 大きな不自由もなく、温室育ちを自称していた私としては、人生において初めての衝撃的な出来事でした。本当に父の自殺は残念でしたし、悲しかったです。このブログに書いてきているように、私の中はまだまだぐ…