はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

自死遺族である母と私と祖母の関係

父が自殺をして1年が経ったけど、時間の経過によって何も変わらないし、むしろ時間が経つほどに悲しみが積もっていくようです。最近はこんなことばかり書いていますが、私が考えていることは堂々巡りを繰り返しているので、仕方がないのかなぁとも思います。でも、喪の期間が終わってしまい、外から見たらそろそろ切り替えたら? と思うだろうなぁと勝手に思い、勝手に嫌な気持ちになっています。もっと時間が欲しい。でも、一年過ぎてるんですよね、事実として。

それに、自分自身すごく変わってしまったように思います。大人数の飲み会に行けなくなってしまいました。飲み会の席で意味のない会話をする理由を見出せなくなってしまったのです。それならば無言で構わないし、一人で構わない。大して仲の良くない人としょうもない話で笑い合うことに大きな嫌悪感を抱くようになってしまいました。元々私はたくさん話す方では無かったのだけど、輪をかけてひどくなっています。最近は職場でも孤立を深めてしまっています。

それにもうわけのわからない感情があります。その辺の人に「私の父親は自殺したんだよ。」と言って回りたいのです。当然そんなことはしませんが、私は父の自殺から動けなくなってしまっていて、それでも1年が経ってしまっていて、でも自分は何一つ整理などできていなくて、私の父の自殺をみんな忘れてしまっているんじゃないかなと思うのです。そもそもほとんど誰にも話していないのですから、多くの人は知らなくて当たり前なのですが、私は全く動けなくなってしまっているのです。それなのに時間ばかり過ぎていってしまうのです。話したいのです。知って欲しいのです。でも話したくないのです。もうどうしたら良いのかわからないのです。

なんだか意味のわからない文章を書いてしまったけれど、今の私の気持ちはこんな感じなのです。

ところで、今日私がブログを書き始めたのは、自死遺族の家族(母と私と祖母)の関係について書こうと思ったからです。なので、ここからは父の自殺と母と私と祖母の関係について記録をしておきたいと思います。

その起源は諸説あるそうですが、一人の自殺者につき、6人の方が大きな影響を受けると言われています。それは家族であったり恋人、友人であったりすると思うのですが、その影響を受けた人たちが一緒にその悲しみを分かち合い、辛い時は一緒に寄り添って、その大きな衝撃に向き合うことができたら、それが一番良いと私は思っています。でも私の家族の場合、そんな風に向き合うことができていませんし、おそらく今後もそうなることは無いのだろうと思います。ただ、勘違いして欲しくないのは、私は母に寄り添いたいと思っていますし、おばあちゃんのことも大切にしたいと思っているということで、どちらも私にとってかけがえのない大切な存在なのです。


父方の祖母は、数年前から近所の老人ホームへ入っていました。祖母は88歳で、足腰は弱ってきているものの、現在もしっかりとしています。父は1週間に1回以上は祖母の顔を見に行っていて、その時にお菓子やジャムの差し入れをしていたようです。何年も欠かすことなく、父は祖母を訪ねていました。

父が自殺をした時、祖母は老人ホームにいました。こちらから伝えなければ、父が自殺したことは伝わりようもない状況です。家族と親戚が集まった時、88歳の祖母へ、さらに言うと父の母へ、父が、要するに息子が自殺したと伝えるべきか、それとも祖母のために父の自殺は伝えず死だけを伝えるか、という相談をしました。
その話になった時、私は祖母にも本当のことを知る権利があると思ったし、祖母にも父の自殺を背負う必要があると思ったので、正直に話すべきだと言いました。でも、父の妹(祖母の娘)や母、兄と相談をする中で、祖母の負担を考えて話をしないということにしました。

当初、この決断に私は納得していなかったのだけど、後日母と話をする中で、もし仮に祖母へ父が自殺したと話をした場合、「なぜ近くにいて母は父の自殺を止められなかったのか」と祖母から責められてしまうかもしれないと聞いた時(自死遺族の家族間の関係として時々あることです。)、私ははっとして、この決断はベストではないけれど、みんなにとってベターな選択肢だったのだなと思いました。
でも、私には別の論理もあって、祖母は父にとって毒親的なところがあったと思うのです。そういう時代だったと言ってしまうこともできるのかもしれませんが、父は人生の多くの場面で祖母のために自分を犠牲にしてきたと思うのです。私が知らないこともあるとは思いますが、祖母の存在が父の負担になっていたのではないかなと思うところがあって(老人ホームのくだりではなく)、いつも何かに縛られて生きづらかったのではないかと、生きたいように生きられなかったんじゃないかなと思えて、これじゃあフェアじゃないと思ってしまうのです。父がかわいそうに思えてしまって、祖母にも父の自殺を背負う責任があると、祖母にとっては酷かもしれませんが、私は思ってしまうのです。

こんな風にして、父が自殺したことは祖母へ伝えませんでした。だから、そもそも祖母は自死遺族ではないのです。この前提から違うので、私たち家族が悲しみを分かち合えるはずもないのかもしれません。

父が自殺をした後、母に寄り添いたいと思った私は数か月実家へ戻り、実家から職場へ通っていました。その間、「父に線香をあげたいから家に連れて行って欲しい」という電話やメールを祖母から私は受け取っていて、毎週末のように祖母を施設へ迎えに行き、家に連れて来て一緒に過ごしていました。祖母とこたつに入って話をしていれば、当然に父の死の話になります。
「どんな風に死んだのか」
「誰が見つけたのか」
「どこで倒れたのか」
「死因は何だったのか」
脳梗塞なのか、心臓発作なのか」
これは私も辛かった。祖母の立場で言えば、息子しかも長男が自分よりも先に死んでしまったのですから、とてつもない悲しみの中にいて、父の最後が気になるのも当然です。でもその祖母の質問に対して、私には答えられるものが何一つありませんでした。祖母の質問に対して、私は受け流したり、うーん、とか、詳しくは知らないとか、むにゃむにゃと答える形になってしまって、私も辛いから聞かないで欲しいとも言いました。それでも祖母は何度も何度も聞いてくるので、私は不機嫌を演じてみたり、本当に不機嫌になっていました。
でも、祖母が私に聞いてくるのには理由がありました。
母との関係です。元々、母と祖母は仲が良い訳ではなかったのだけど、父の生前は父のおかげでそれが顕在化することはありませんでした。ところが、父が死んでしまった今となってはそうはいきません。父の死について知りたければ、父と二人で暮らしていた母に聞くのが当然の流れなのです。祖母は母へ電話をかけ、「父の死について詳しく知りたい」とメールを送ります。それに対して母は、電話には出ず、メールの返信もしませんでした。この一年で何度も何度もかけられた電話にも、送られたメールにも、法事の日程の連絡のような事務的なものを除いて、母はほとんど返事をしていません。父の死から1年経った今でもそんな風にして、二人は微妙な距離感を保っています。私には母が祖母を避けてしまう気持ちがわかりますし、祖母の気持ちもよくわかります。そして私は、その二人どちらのことも大切にしたいと思っています。

二人が会わないように、母がいない間に祖母を家に連れてくる。どんな風に死んだのだと聞かれる。1週間もしないうちにまた連れて行って欲しいとメールが来る。あぁまた行かなくちゃなと思う。母がいない間に祖母を家に連れてくる。どんな風に死んだのだと聞かれる。むにゃむにゃと答える。不機嫌になる。嫌になる。嫌だと思う自分が嫌になる。行きたくないと思ってしまう。行かなくちゃいけないとも思う。そうやってしんどいなと思ってしまう。

なんだか書いていて、私ばっかり大変!みたいな感じで、やってあげてる感があって嫌だな自分。
どうしたら良いんだろうなー。きちんとした嘘を練り上げて祖母に話をしてあげれば良いんだろうか。でもそれも少し違うと私には思えてしまう。
こうやってうだうだしながら時間が過ぎていくのかな。

自死遺族の家族の関係についてとして書き始めたけれど、誰のための何のための文章だったのかなぁ。結局全て自分のためだといつもながら思います。でも、同じ家族の自死遺族でも、それぞれの立場や状況でこれほどまでにも悩みが違うってことは一つ、この文章でわかってもらえたかな。でもそれをわかってもらってどうするんだ私は。あー。

おばあちゃんは1か月くらい家に来れていないので、今週末にでも迎えに行こうかな。