はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

感情を喚起するもの

昨日、ある仕事の打ち上げがあった。

その打ち上げに来るほとんどの人は気安い関係であるのだけれど、少しだけほとんど知らない偉い人がいた。事前に一緒に行くみんなと「行きたくないね」なんて話していたのだけど、みんな行きたくないと思っているのだし、自分だけ行かないなんてちょっと言えないなぁ、きっと大丈夫だろうと思って打ち上げへ行くことにした。

普通の居酒屋。飲み放題がついていて、料理が順番に運ばれてくる。
元々、話をする方では無いのだけど、全く会話をする気が起きなかった。くだらない、どうでも良い話にいちいち盛り上がる意味がわからなかった。仕事上少し知っている程度の人と当たり障りのない話をして、たいして面白くない話にみんなで笑うことに対する嫌悪感がすごかった。嫌悪感。でも彼らは何も悪くない。ただ楽しんでいて、むしろ私と同じように感じている人もおそらくいて、だから厄介なのは自分。そんな場所へ出向いておきながら、ほとんど会話に参加しない。そう考えていくと、幹事の子にも本当に申し訳ないことをしてしまったなという気持ちや、自分に対する失望感で落ち込んでいくことになる。
前回の記事で父のことを考えることを少し休もうと書いたのに、強制的に気持ちを持って行かれてしまって、この1か月は比較的落ち着いていたのに、(若干、躁を演じているきらいはありましたが、)自分の感情をコントロールできなくなってしまった。

でもその場で感じた嫌悪感で動けなかった。話せなかった。
私は、「私には楽しむ資格が無いんじゃないか」とは思わない。だって普段友達と話して笑って、テレビを見て笑って、遊びに旅行に行ったりしている。十分に楽しんでいる。では、何に対して嫌悪感を抱いているのか。

それは、父が自死をした日に原因があるように思う。
あの日、父が自殺をしようと公園にいた時、あるいは父が自らの首をメジャーで締めたその時、私はお酒の場にいた。父が発していたサインに気がつくことができずに、向き合うことができずに、能天気に、お酒を飲んでいた。
今の私にとってこういう酒席は、父を救えなかった後悔と自分自身に対する失望を喚起するものでしかないのだな。そして、そのどうしようもない感情を嫌悪感に変換してなんとかその場をやり過ごして自己嫌悪に陥る。
今回の打ち上げでも気分が落ち込んでいくことを自分ではどうしようもできなかった。

周りにも迷惑をかけてしまう。
お酒の場には行かないようにする。そうすることで、不意に感情を乱されずに済む。とりあえず、そうする。それだけ。

命日など、自死遺族の方にとって感情を喚起するものは、それぞれにあると思う。それとどんな風に付き合っていくか。
無理のない、うまい付き合い方ができたら良いよね。