はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

生きることを肯定すること

生きることを肯定すること。
これが私の人生のテーマだ。なんて最近考えるようになった。
なぜそんな風に考えるようになったのか。きっかけは、新海誠展に行った時に見た秒速5センチメートルに関するインタビューの抜粋。
 
「当時強く思っていたのは、「こういう映画を必要としている人が世の中にはたくさんいるに違いない」ということでした。どれも悲しい話ではあるんだけれども、登場人物たちを美しい風景の中に置くことで、「あなたも美しさの一部です」というふうに肯定する。それによって誰かが励まされるんじゃないかと思っていたんです。」
 
月並みな表現だけど、まさに雷に打たれたような気持ちになりました。元々、秒速5センチメートル言の葉の庭が好きだったのだけど、それは、あの頃のはかない恋への憧れからくるものなのかなぁ、なんて思っていたのだけど、そんなことを考えて作られていたと知ってすごく驚いたのです。確かに秒速5センチメートルで言えば、男性主人公のラストは決して良いものではないにも関わらず、一歩を踏み出すような前向きなものを感じるもんね。
新海は美しい風景によって登場人物を肯定していた。それによって私も励まされていた。だから好きだったのなら、なんだか嬉しい。そう思った。生きることを肯定することってとても美しいことだと思うから。
 
そこまで考えてきて、ふと、自分の好きな他のものを考えてみた。小説、映画、絵とあるけれど、全てしっくりきた。どれも生きることを肯定しているように思えた。こんなふうに。
 
小説
 → 高橋源一郎の最高傑作だと個人的には思っているのだけど、世界が少しづつ壊れていく中でも最後まで希望を持ち続けるプーが、そして、壊れていく様子の描かれ方がとても美しく、生きることの喜びが浮かび上がっているのではないかと思ってる。
 
映画
かぐや姫の物語」(高畑勲監督、2013年)
 → これは、以前書いたので省略 

harumaki12.hatenablog.com

 

レ・ミゼラブル」( トム・フーパー監督、2012年) 
 → 不幸な境遇にある人達がそれでも力強くひたむきに生きていく様はとても美しいと思うし、民衆の歌の場面なんて理屈抜きに、人間を、ひいてはその中に含まれる自分を手放しで肯定してくれているような感覚にさせてくれる。
 
ルドン《グラン・ブーケ》(1901年)
 → 今までに3回ほど見に行っているのだけど、初めて見た時の衝撃は今でも忘れない。実物を見たことがなければ、普通の花の絵のように感じてしまうかもしれないけれど、これ、248.3×162.9cmっていう寸法で、とても大きなパステル画。すごく立派で、命の美しさを感じさせてくれるものだと感じてる。
 
川村清雄 《建国》(1929年)
 → これも本当に立派なんだよな。自分の表現力が無くて笑ってしまうけど、メインに配置されている鶏が本当に立派でかっこよくて堂々としていて、生きてるって感じるんだよね。そう。生きてる。だから好き。
 
理屈なんて抜きに認められて肯定されたい。あなたは生きているだけで美しいと、存在を受け入れてもらいたい。一人で良いから、そんな風に肯定して欲しい。そんな風に自分は思っているのかなって思う。そして、大切だと思える人に対してそんな風に接したい。どんなことがあっても、見返りなんて考えずにそうやって肯定したい。
なんだかこの前読んだ綿矢りさの「ひらいて」みたいだ。すごく影響うけてるのかも。でも、この考えは自分の父が自殺したことや恋愛からも感じていることでもあるから、これが私にとっての一つの真実であることに変わりはない。
 
でも、さて、どうしたらあの人の、私の生を肯定することができるのでしょう?
愛すること?優しくすること?
じゃあ、愛ってなに?優しさってなに?
ここでまたよくわかりませんね。
 
でも、私は(すぐに忘れてしまうような気がするけれど)いつまでもこの気持ちを忘れないでいたい。