はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

5年

5年になる。5年かぁ。この1年はとても色々なことがあってすごく長かったように思うけど、いまだに父が自殺をした実感があるかと言えば、それはない。変な感じだな。そういう実感はないけど、時間は過ぎていくし、それが事実だし、自分の人生も動いていく。以前は時間が過ぎていくことがすごく嫌だったけど、いまはそれが自然なこととして受け入れられる。
 
命日の日、母と電話で話した。涙が出ちゃうとか、母が言う場面もあったけど、こんな場面があった。
 
私「おとん、ほんとにさ~」
母「ほんとだよね!」
私「ほんとほんと!」
母「ほんとねぇ~」
私「ほんとだよ!」
母・私「あははは」
 
ほんとに、の後の言葉をお互いに口にしなかったけど、気持ちは一緒だったように思う。
ほんとに、(自殺しちゃうなんて)おとんのばか! みたいな。

ベクトル

私が自死遺族として考えるとき、どこにベクトルがあるのだろうと考えた。
場面によって当然に異なるけれど、いくつかあるように思う。

自死した父に対して
②家族に対して
③自分に対して
 ㋐今の自分に対して
 ㋑苦しかったあの頃の自分に対して
④父ではない他の自死をした方に対して
⑤他の自死遺族に対して

このところ自分のやっていることに意味があるのかとかそんなことばかり考えていたのだけど、さっき、自分のベクトルがどこに向いているかということに気がついてはっとした。私の一番大きなベクトルは、③の㋑、苦しかったあの頃の自分に向いている。
このことには自覚的でなければならないと思う。

想いは変わる

明確に、自分のいるステージが変わってきているように感じている。

最初にこう感じたのは、私がやっているイベントでのこと。
このイベントは想いを話し、想いを聞くことでなんとなくすっきりした、あたたかい気持ちになったと思える場を作りたいと思ってやっているものなのだけど、この2年ほど、このイベントで私が父を自死で亡くしたこと、そこからどんなことを考えて生きてきたかということを話してた。
でも、このところ話すことが嫌になってきた。本当は大切にしたい気持ちなのに、何度も何度も話をするうちに、その気持ちをただの言葉のように感じてしまって、実際に話さなくなると、すごく楽になったなぁと感じている。そう考えてくると、自分の悲しみに気がついて、自死遺族の分かち合いやこのイベントで想いを話すことでなんとかやってきたこの期間が終わりを迎えたのかなぁと思う。
当然これからも話すとは思うのだけど、頻度的な意味で、なのかな。

今はまだこの変化の意味について、自分の中で答えみたいなものをみつけられていないけど、一つ思うのは、自分の中ではなくて、外に興味が向いてきているのかもしれないと思う。父は診断前に亡くなってしまったから、うつ病という病名はつかなかったけれど、うつ病当事者の方の話を聞いてみたいと思ったり(今まではなんとなく敬遠してた。)、私たちがやっているイベントと似たようなことをしている方々とつながって話をしたり、そんな変化が自分に起きている。

記事の冒頭ではステージと書いたけど、こんな風に、想いは変わるし、変わってしまうのかなぁと思う。
その変化に善し悪しなんてないけど、私はその変化には意味があると思ってる。だから、私は私のためにその変化を大切に尊重してあげたいとも思っている。

このブログは「自死遺族として考えたことを記録するため」に始めたけれど、私が「自死遺族としての想いを吐き出す場」としてはもう終わりなのかもしれないな、と思う。
以前、自死遺族のブログがある時から更新されなくなることを寂しく思う、というようなことをここで書いたことがあったけど、今ではその気持ちがわかるような気がしている。当然、自死遺族であることがどこかの時点で終わるわけではなくて、それは一生続いていくものなのだけど、受容というか、赦しがあって、激しい想いにはならなくなっていって、ある程度自分でコントロールできるようになってきて、そういう場所が不要になってきたということなのかな。
うん、そうだねえ。

父が自死をしてから色んなことがあったなぁ。
自分の中にある全てが吹き飛んだような気がしていて、自分という存在を一つずつ、一つずつ再構築しているような、そんな期間であったように思う。
おとんは死んでしまったけど、それが原因となって知り合えた人もたくさんいるし、たくさんの想いをたくさんの人と共有することができた。辛いこともたくさんあったけど、だからこそ知ることのできたこともたくさんあって、かけがえのない素晴らしい時間だったように思う。
おとん、ありがとうね。

なんだかこのブログを辞める雰囲気になってしまったけど、これは自分の中の区切りであって、私が自死遺族であることはもう自分という存在から切り離せないものになっているから、時々は今までみたいに文章を書きたいと思っています。
一つの区切りとして、今まで本当にありがとうございました。