はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

自死遺族支援セミナー

先日、自治体が主催する自死遺族支援セミナーへ行ってきた。
とても良いセミナーだった。本当に良いセミナーだった。
 
ちょうど3年前も、夫を亡くして自死遺族となった母を支えたいと思った私は、同じように自死遺族支援セミナー(多分、毎年講師を変えて行っている。)へ行った。でもその結果、結論から先に言ってしまえば、自分の悲しみに気がついただけだった。自死遺族を支援する趣旨のセミナーだから、講師の方は、自死遺族がどのようなことを考えているかを説明する。私が混乱するまでにそれほど時間はかからなかった。説明されて浮かび上がる自死遺族は私自身のことであり、資料に涙が落ち、私は叫びだしそうになって、急いで会場を出た。
対して今回、うんうんそうだよね、という風に冷静に話を聞くことができた。それに、細かな枝葉の部分の内容も自分の頭にすっと入ってくる感覚があった。
 
行く前は3年前にこのセミナーへ行ったことは思い出すことはなかったけれど、セミナーの後、3年前との対比を感じている。なんだか遠いところまで来たなぁと感じる。3年。短いかもしれないし、長いかもしれない。それでも3年。1000日を超える日々。とても長く辛い濃厚な期間であったように思うし、同時に、かけがえのない素晴らしい期間であったようにも思う。これほどまでに色んなことを考えて、その思いを分かち合うことができたのは、周囲の人に恵まれたおかげだとも思う。匿名のブログだから特定の人へ伝わることはないけれど、ありがとう、感謝しています。今度会った時には感謝の言葉を伝えます。
 
大学院。以前このブログへ色々と恨みつらみを書いたけれど、なんとか立て直し、無事進級することができそうです。大学院で弁護士の方と交流する機会があり、資格はやりたいことをやるためのチケットだというような趣旨の話を聞き、以前にも増して、私もそのチケットを手にすることができたらなぁと思うようになっている。プレッシャー、忙しさ、辛いこと、色々あるが、心に余裕を保つようにしながらやっていきたい。
 
なんか意味がわからないとも思うけれど、最近よく、生きているなぁ、と思う。
3年前、父の自殺という死に直面し、私は今初めて生の実感を得ているのかもしれない、とも思う。この実感に善し悪しはない。ただ「生きているなぁ」と感じる。それだけ。そしてそれで良い。それが心地良い。
私は生きている。だから、毎日これからをどう生きるか考える。それは特別なことではなくて、生きているから。
生きているから考えるだけ。