はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

3年

3年が経った。
命日の前日の夜、実家へ帰った。いつものように、母に車で駅へ迎えに来てもらった。そのあと、家で母と生協で頼んだ豚の角煮を食べた。
当日、私は午後からオンラインで大学院の講義を受ける予定だったから、午前中にお墓参りに行こうということになった。近くの農協的なところへ行ってお花を買った。雨がぽつぽつとしていた。
コロナもあったから、久しぶりにお墓へ行った。まさに1年ぶりかな。墓地だからたくさんの墓石が立っているわけだけど、遠くから見ても父の墓石は一目でわかった。父の墓石を注文するとき、何種類かの墓石の種類から黒っぽい石を頼んだから。その黒い石はインドから運ばれてくるということだった。他の石より少し値段はしたけれど、どうせおとんのお金だしね、と母と兄と私で話しながら注文したことをよく覚えている。その石の中には青いきらきらしたものが入っていて、私がこれが良いと言った。
お墓には先に花を供えた人がいるようだった。父の妹、私からいえば、叔母にあたるのかな。母は昨日休みだって言ってたと言った。母と私は、少し窮屈だけど、と話しながら買ってきた花の一部を花立てへねじ込んだ。

3年経ったね、と、母と話す。私がいまだに実感がないよ、と言う。そうだねぇ、と母が言う。
真面目な人だったねと母が言う。祖母の話になる。
お父さんは色々なものに縛られていたのかな、と母が言う。
私が、縛られてもいたけど、縛られてもいない感じだったよねと言うと、母はなんとなく笑った。

 

未だに実感がない。
それに尽きる。