はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

これから

2018年11月に父が自殺してから2年と5か月が経ちました。
すごく苦しい時期もあったのですが、これまで私はなんとか生きてきました。私にとって父の自殺は人生において最も衝撃的なできごとで、今、私の人生は大きく変わりつつあります。
今日はそのことを書いておきます。


まずは一つ目。
今日からですが、私は大学院生になりました。
私は普通に働いていましたので、社会人から大学院生になったのですが、我ながらよくもまぁ決断したものだとと思います。これから自分がどうなってしまうのか、正直に言えば怖いです。でもそれ以上に父の自殺が影響していて、むしろこれは自然な流れだとも思えるのです。父の自殺から、私は私自身の生き方を変えたいと強く考えるようになりました。父の自殺に向き合う時、父を救えなかった後悔と向き合う時、私はずっとその悲しみや後悔に押しつぶされそうになっていたのですが、自死遺族の分かち合いや友人に想いを話す中で、自然とこれからをどう生きるかということを考えるようになっていたのです。いま私がいるこの場所から振り返ると、これは私なりの考えでしかありませんが、過去の後悔を突き詰めていくと、これからの将来をどう生きるかということになるのかもしれないな、なんて思ったりします。
でもただ、今までにもここで何度か書いていますが、これは全て私自身のためなのです。父と向き合えずに救えなかった後悔を今と将来に振り向けることで、その後悔を少しでも薄めようとしているのです。何かをしていかないと、私の気がすまないのです。だからこれは全て私自身のためなのです。

二つ目。
イベントを企画・主催するようになりました。
仕事の関係で良い縁・仲間に恵まれ、命や弱さ、生きることについて話をして分かち合うイベントを主催するようになりました。一回目は30名弱の方々に参加してもらえ、今後は月に1回のペースで修正を重ねながら開催していきたいと思っています。ただこのイベントは今まさに苦しい方に参加いただけるような内容ではないので、自殺予防の枠組みで言えば、危機介入ではなくてその前の段階、普及・啓発に位置するものなのかなぁと思っています。今後この活動がどうなっていくのかはわからないのですが、一緒にやっている仲間とは「いけるところまでやってみよう」と話をしています。この仲間たちには本当に感謝しています。ありがとう。

三つ目。
自死遺族団体のお手伝いをさせてもらえることになりました。
苦しくて苦しくてたまらない時、私は自死遺族の分かち合いへ行って話をし、話を聞くことでなんとか自分を保っていました。その場はとても温かくて、自分でも驚くくらいに想いが溢れて泣いてしまったこともありました。でもそこのスタッフのみなさんはとても温かく、本当に、本当に助けていただきました。ここで話をし、話を聞いて頂かなかったら今の自分は無いと思うくらい、私にとっては大きな存在でした。
だからスタッフの方に一緒にやりませんか? と声をかけて頂いて私は本当に嬉しかった。いつかは自分もそんな風に悲しむ人の力になりたいと感じていたのです。あの人たちみたいな温かな人になれるかどうかはわからないけれど、私はそうなりたいと思っていて、少しずつでも近づいていきます。それを人生の目的にしても良いとすら私は思っています。


ここまで色々書いてきて、自分でもこんなことになるとはと驚いています。
ただ一方で、全ては必然であり、これで良かったという風にも感じるのです。当然父の自殺は悲しかったし、後悔もたくさんあります。父が今も生きていたらと考えます。でも一方で父が自殺したからこそ、今こんな文章を書いています。もう全ては遅いけれど、今からでも父を理解しようと父のことを考えています。もし父が今も元気に生きていたら、きっとこんなことは考えなかった、そんな風に考えると、父は私に大切なものを残してくれたようにも思うのです。

冷静に見れば、動機一つで人生はこうも変わるものなんだなぁと感じています。
これからをどう生きるか。今、私の人生は大きく変わり始めました。