はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

父の気持ち

私の父は2018年11月に自殺しました。それから色んなことをこのブログに書いてきました。以前に比べて自分が不安定になったと感じていますが、時間が経ち、爆発しそうなほどの感情を覚えることはほとんどなくなってきました。今日は、自殺に至った父の気持ちについて、今思うことを書いておきたいと思います。
 
父は66歳でした。別の場所で暮らしていて年に2度ほどしか帰省していなかった私は気がつくことができなかったのですが、自殺の数か月前からその兆候はありました。
 
〈数か月前〉
趣味で通っていたカラオケや俳句の教室を辞めた。
「目標が無くなった」と言っていた。
「よく眠れない」と言っていた。
 
〈1か月前〉
「仕事ができなくなった、頭がまわらない」と言っていた。
今までできていたことができなくなった。
スーパーへ食料品を買いに行くことも億劫になった。
 
〈前日〉
「頭がおかしい、入院したい」と言った。
 
父はこれから病院へ行くというところでした。なので医療機関での診断は無いのですが、その症状から父はうつ病、あるいは認知症であったのだと思われます。また、うつ病を原因に発症するとされる「うつ病性仮性認知症」であったのかもしれません。でもただ、この病名は問題ではなくて、こんな風に数か月にわたって自分の異変を感じながら自殺に至った父の気持ちはどんなものであったのだろうと思うと本当にやりきれない気持ちになるのです。どんな気持ちだったのでしょう。どんなことを考えていたのでしょう。真面目で責任感の強い父でした。子供には優しすぎる父でした。なんとなく気持ちが落ち込んでいくなかで、以前はやれていたことがやれなくなっていく。きっと大きな絶望があったに違いありません。不安で不安で仕方なかったに違いありません。
 
そして父は自殺しました。前日に父は「頭がおかしい、入院したい」と言っていて、自殺した当日も午前中は仕事をしていました。昼頃に弁当を買いに行くと言って職場を出たきり行方不明になるまでは、父はまだ生きようとしていたように思うのです。そう考えると、父の自殺は衝動的なものだったと言うことができるようにも思うのですが、車を運転して自殺した公園へ向かう姿をイメージすると、そこには計画性と父の意思があるように思えてならないのです。自殺するために公園へ車を走らせる気持ちってどんなものなのでしょうか。公衆トイレの中でメジャーを自分の首に巻き付ける時、父はどんなことを考えたのでしょう。もちろん、うつ病によって正常な判断ができないほどに追い詰められてしまっていたのだとも思うのですが、想像すればするほど悲しいです。
 
こんな風に父の気持ちを考えてくると、全ては助けてあげられなかった、助けてあげたかった後悔に帰結します。