はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

自分の限界

「みかげはみどころありそうだから、ふと言いたくなったのよ。あたしだって、雄一を抱えて育ててるうちに、そのことがわかってきたのよ。つらいこともたくさん、たくさんあったわ。本当にひとり立ちしたい人は、なにかを育てるといいのよね。子供とかさ、鉢植えとかね。そうすると、自分の限界がわかるのよ。そこからがはじまりなのよ。」
 歌うような調子で、彼女は彼女の人生哲学を語った。
「いろいろ、苦労があるのね。」
 感動して私が言うと、
「まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなにかわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。あたしは、よかったわ。」
 と彼女は言った。

吉本ばなな「キッチン」)

 

父が自殺してから人生が変わった。色々なことを考えるうちに私の人生のテーマは「生きることを肯定すること」(自殺した父の生、大切な人の生、大切な人を亡くして悲しむ人の生を、私は肯定したい。)だと考えるようになって、この3月からはイベントを開催するようになり、4月には仕事を休職して大学院へ入学した。去年の10月頃から今まで、父が自殺してから鬱々と考えていたことを外へ外へ広げるような、そんな時間だった。
でもいま、それをいったん畳む時間になりつつあることを感じている。あれもこれもと手を出したけど、笑っちゃうくらいにだめだったから。絵に描いたようにだめだったのです。だめだったなぁ。完璧主義のきらいはあるけれども、だめだった。
だめだったのは2つ。大学院での勉強と、久しぶりに手を出した恋愛。自分としては、大学院の生活、始めたイベント、恋愛の3つをうまくやっていくつもりだった。だけど、最初に大学院での生活に心が折れてしまい、自分に余裕がなくなってしまって恋愛もだめになった。この2つは、自分にとって大きなものだったのです。

こんな風に振り返ってみると、父の自殺から「何かをしたい」ともがいている最中なのだとみることができるけど、自分の限界を知る良い機会になったとも思う。3つのことを同時進行、あるいは、大学院での生活、恋愛をすることが、私にはできなかった。それはしっかりと認めなくちゃいけない。まずはそれを認めること。自分の限界を。そして、それを認めた後もこれからの人生があるわけで、まだ終わりなんかじゃなくて、ここからまたはじまるんだよね。

うん。そうだね。

でも、と思う。私の本当に捨てられないところってどこなのだろう。
ちょっと今はわからない。出てこない。
少し前なら臆面もなく「生きることを肯定すること」だ!なんて言えたのに。今は言えなくなってしまった。それは私の気持ちが落ちているからなのかな。
逃げているだけなのかもしれない。でも、メンタル的にこれは続けられないと直感的に感じたことも事実。
わからない。わからない。何をしたいのか。 何をするのか。何もしないのか。
でも一つわかったことは、私に多くはできないということ。多くはできない。だから少しずつやっていけば良い。やれることを自分のペースでやりたいように。
でも、そんなことわかってる。
ほんとに? 
なんだか何がわからないのかもよくわからなくなってきてる。
大学院のこと、恋愛のこと、諦めきれない自分がいることも確か。自分を残念に思う。執着なのかなぁ。
もうぐちゃぐちゃだなー。

ある人に言われた。
「まだできるのに、これくらいで良いやって思ってない?」
確かにそうかもしれない。余力はあるのかもしれない。でもしんどい。

真偽のほどは知らないけど、インターネットでこんなものを読んだ。
杜甫科挙に落ちた経験があって、だからこそ、「国破れて山河在り」という詩を読めたんだって。
うん、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

兄に電話したら、「やりたいことやれば良いよ。寝たいなら寝れば良いし、働きたくないならは働かなければ良い。」って言われた。
それくらいシンプルに考えたら良いのかもなぁ。

シンプルに考えれば、2つ。
私の人生にとって大切なこと、やりたいことは、「生きることを肯定すること」と、「価値観を共有できるパートナーと一緒に生きていくこと」かな。
この2つ。