はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

清算は済んだ。今は少し休もう。

本当に清算が済んだわけではないのだけど、いまはすこし、父のことを考えることを休むことにしました。

この考えに至ったのには、2つきっかけがあります。

1つ目はインフルエンザになったこと。
昨年のクリスマス前後、私はインフルエンザになりました。病は気からと言いますが、その時私は本当に弱っていました。このブログで父のことや自分のことを色々と考えてきましたが、父の自殺に対する後悔の部分を考え始めるとどうしようもなくなってしまうのです。
「また大切な人を失いたくないから、きちんと勉強していく」とか、「家族を大切にする」などと嘯くことはできるけれど、父は戻りません。それは不可逆なのです。ただただ後悔することしかできなくて、それをどうすることもできず、私は落ち込んでいきました。
そんな風に落ち込んでいた時に私はインフルエンザになりました。その苦しさの中で泣きました。あぁ、これは壊れてしまう。考えれば考えるほど後悔しか生まれなくて、出口がありませんでした。
だから私はもう、今は考えるのを辞める、休むしかないと思ったのです。

2つ目は占い。
標題の「清算は済んだ」という言葉は、父の自殺のことを全て話している友人が教えてくれた「しいたけ占い」にあった言葉です。結構当たっているような気がするので、気になる方は調べてみて欲しいのですが、星座毎に結構な長文で占いをアップしてくれています。以前、しいたけさんがテレビに出ているのを見たこともあるので、結構有名なんだと思います。
さて、その占いによると、2020年の上半期の私のオーラは、「清算が済んだ。気持ちを引き締めて特別な年を迎えていく」というものでした。かなりの長文になるのですが、その詳しい内容を読んでいくと、あぁそうだよなぁ、と思う部分もあったりして、なんとなく納得がいくものでした。
私は占いを信じる方では無いので、こういうちょっとしたきっかけに寄り掛かりたくなってしまう程に弱っているのだと思います。考えない、思い出さないということは、どうしても罪悪感のようなものを感じてしまう。そしていま、占いに寄り掛かろうとしている私は、そんな罪悪感を正当化するものが欲しいと思っているんだろうと思います。
私は父を助けてあげられなかったという罪悪感を、父のことを考えないようにするという罪悪感をこの占いで薄めながら、少し休むことにしたのです。

私は開き直っているのかな。
いや、少し違うのかな?「行き詰まっている」と言った方が良いのかな。父の自殺に向き合う中で、「後悔」という大きな部分に対して少なくとも今は自分が納得できる答えが見つからない。答えなど無いかもしれないし、今までに考えてきたようなことしか自分の中から出てこないかもしれない。
でも、今は少し休憩しなければ自分自身を保てないかもしれないということも事実なんだよね。
だから、今は少し休ませて欲しい。

一方で、「思い出せる時に思い出してあげれば良い。」とか、「お父さんはあなたが笑っていてくれた方が喜ぶよ」とか、「お父さんはそんなことであなたを責めないよ。」とか、そんな言葉があることはわかっています。
でもこれは、私の納得感の問題なんでしょうね。そういう考え方があるのはわかりますが、それを今は言葉通りに受け入れることはできないのです。

こんな考え方の経過を記録すること。大前提として、これは全て私自身のためです。でも、少しでもこの記録が大切な人を自殺で亡くした自死遺族の方の助けになれば嬉しいとも私は思ってしまいます。
意味不明な文章も多いと思うし、私は考えることを休もうと思うけれど、これからもこのブログを書くことは続けていきたいと思っています。