はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

生きることの目的

 あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。ひとの眼というより、兎の眼だった。それはいのりをこめたように、ものを思うかのように、静かな光をたたえてやさしかった。
(略)
 小谷先生がみな子をあずかる決心をしたのは、バクじいさんのあのすさまじい話をきいてからだ。西大寺善財童子の美しさ、バクじいさんのやさしさを、小谷先生は自分にもほしいと思った。それを生きることの目的にしてもいいと思った。

 灰谷健次郎兎の眼」101p,141p

 

新型コロナウイルスが社会に生きる全ての人に大きな影響を与えていて、当然に私もその影響を受けている一人です。この影響は一過性のものでは無いのだろうなぁと思うのですが、長く続く自粛生活の中で私が思ったことを記録しておきたいと思います。(ただ自粛をしているだけの人間の能天気な独り言をお許しください。)

私が最初に行けなくなったのはスポーツジムでした。私は週に数回ジムへ行って体を動かしたりサウナに入っていたのですが、スポーツジムでクラスターが発生したなどのニュースを聞いて怖くなり行けなくなりました。
その後、同じ理由で友達とよく行っていた岩盤浴スーパー銭湯へ行けなくなりました。その後は食事に、最後には公園も閉鎖されてしまい、焚き火にも行けなくなってしまいました。どこへも行けなくて嫌だなぁ、退屈だなぁなんて思いながらも、Netflix攻殻機動隊の新シリーズが始まると聞いて契約して見たりしていました。
そんな風に過ごしていて、私はあることに気がつきました。今まではやれ旅行だの、やれご飯だの、やれジムだの、ある程度忙しくしていないと気が済まない性質だったのですが、こんな風に何もできなくなって、実のところ、私には本当にやりたいことなどほとんど無かったのだということに気がついてしまったのです。それらが無い生活を数週間してみて、それならそれでも構わないと私には思えてしまった。私の生活は暇つぶしみたいなものだったのです。
ただ、ほとんどと書いている通り、私には何も無いというわけではありませんでした。何もできない、どこへも行けない不自由さの中で、私の気持ちは純化されたように思うのです。今の私には二つのものがありました。大切にしたいと強く思える友達の存在と父のことです。父が自殺してから、私はこの友達がいなければ自分を保つことができたかわかりません。この友達には本当に感謝していますし、一生大切にしていきたいと思える人です。そして父のこと。父の自殺と父の自殺によって考えたあらゆること。我ながら不思議に思うのですが、私は父を自殺で亡くして、父のように自殺する方を少なくしたいという方向ではなくて、もちろん自殺する方が一人でも少なくなることが一番ですし、今後その方向へ気持ちが向いていくのかもしれません。でも今はただ、私は大切な人を自殺で亡くした方に寄り添えるような人でありたいと思うのです。私はそれを生きることの目的にしても良いと思うのです。