はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

一緒に答えを探していこう

答えはこのブログにも、自死遺族の会にもなかった。

あなたはそんなの当たり前だよって思うかもしれない。でも私は本気でなにかがわかるような気がしてこのブログへ父の自殺について文章を書いていたし、何度も自死遺族の会へ行って話をしていた。外に救いを求めて、なんでも良いからすがれるものを探してた。

でもそれは間違っていて、少し合ってた。

それは、私が私自身の悲しみや苦しさとどう向き合い、父の死をどんな風に考えたら良いのかなんて、他の人が教えてくれるはずないってこと。そんなことわかる人なんているわけないよね。そんなの考えなくたってわかる。でも最近の私は本気でそれをどこかにないかと、誰かが教えてくれないかと探してた。
でも今は、結局そういうものは自分の中で見つけるしかないんだって気がついた。自分がどんな風に考えられるか、どんな風に自分にとっての真実に辿りつけられるか、それが答えを見つけることだっていうことに。

でもこのブログや自死遺族の会を否定するわけではなくて、ブログに文章を書いてアップしたり、他の人の前で思っていることを話すことはとても大切なことなんだよね。自分の中の答えを探すために、アウトプットをして自分の中を整理していくこと、他の人の考え方にふれて気づかされること、それは自分の中の答えを探すにあたってとても重要なことだと思うんだ。

自死遺族の会で言えば、家族や親しい人を自死で亡くしたということ以外、それぞれ全く違うストーリーを持っている。
でもそれは、それぞれが独りであるということではないと思う。私たちが似た境遇を背景にしていることは確かで、自死遺族であるという緩やかな繋がりがある。そこには共感もある。辛い時にはそこに戻ることもできる。

こんな風に考えてきて、そもそも私の言う「答え」ってなんなんだろうって我ながら思う。書き出してみるとこんな感じかな。

・父が自殺をした理由。
・父の自殺をとめられなかった後悔に対する何か。
・なんにもわかっていなかった自分に対する憤りへの何か。
・父がいなくなってしまった悲しさ、空虚感に対する何か。
・父の自殺をどのように捉えたら良いのかということ。

書いていて思ったけれど、これはそうそう見つかるものじゃないね。それこそ一生かけて考えても見つからないかもしれない。
でも、私は向き合うことを諦めたくないし、こうやって考えることは意味のあることだと思ってる。
その先に何があるかわからないけれど、きっとなにかあるよね。