はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

どこまで

どこまでが自死遺族としての記録となるのだろう。
そんなことを思ったけれど、きっとそれは、おとんが死んでからの人生すべてということになるのかなぁ。

父が死んでからのとても苦しい期間を経て、この4月に私は大学院生になりました。
法科大学院
なぜ法科大学院なのか、理由はいくつかあります。この理由と、今なぜ法科大学院を辞めようと考えているか、自分の整理のためにここに記録しておきたいと思います。これもきっと自死遺族として考えたことの記録であるのだと思います。文章を書いてみて自分の見たくない自分ばかりでとても嫌になりますし、格好悪いし、長い長い言い訳のようですが、もう仕方がありません。

〈なぜ法科大学院に行こうと思ったか〉
 そもそも法科大学院は、弁護士・検察官・裁判官を養成するための専門職大学院であるのだけど、私はこんなところへこの4月に入りました。動機はもちろん、父の自殺を起因とする思考のあれこれ。そのために、私は弁護士になろうと思ったのですが、以下、項目に分けて当時考えていたことを書いていきます。

①何かをしたいと思った。
 弁護士を目指そうかなと思ったのは去年の5月頃。コロナウイルスによる初めての緊急事態宣言が出ていた頃。安直で甘々な私らしいのだけど、ちょうどテレビで織田裕二主演のSUITSがやっていて、気だるくそれを見ていた私は、これだ!と思いました。
 それまでにも、「自死遺族弁護団」として大切な人を自死で亡くした方の法律相談を行っている弁護士の方々がいたり、県や市の自殺対策会議に弁護士が入っていたり、市が主催する「ゲートキーパー研修」の講師の方のバックボーンに自殺とは直接関係しない学問があったことなどを目の当たりにしていて、テレビドラマをきっかけに唐突に自分の中でこの考えが思い浮かんだのです。この頃は、私の中で「自殺」ということに対して、大切な人を亡くして悲しむ人のために、今苦しい人のために何かをしたいという気持ちが大きくなってきていた頃でもありました。
 ただ、自分に何ができるのか、何をしたいのかはまだわからなくて、それでも弁護士は悲しんでいる人や困っている人を助けることのできる仕事でやれることは多いし、弁護士を目指しながら自分にやれることを探していこうと思ったのです。大学院は法学を今までに勉強していない未修者コースとある程度の勉強を経た既修者コースがあり、前者は3年、後者は2年の課程となります。私は今までに法律の勉強をしたことがなかったので、未修者コースに今いるのだけど、この3年間で勉強をしながら、自分にやれることを探していこうと思っていました。

②生き方を変えたい。
 ①で書いたように、当時の私には何がやれるかはわからないけれど、何かをしたい、何かをしなくちゃいけないという切実な思いがあって、同時に生き方を変えたいという思いがありました。自殺のことを自分のライフワークにしたいと思ったのです。そしてそのために強力な資格を取得することは、一つの方法としてありだと思いました。その資格があれば仕事で自殺に関わる何かに携わることができるし、自分の生きていく可能性が大きく広がるからです。

 このような理由で私は弁護士を目指し、法科大学院へ入学することとなりました。

 ここまで書いてきて思うことは、「勉強をしながら、自分にやれることを探していこう」なんて書いていることからもわかるように、私の本質はやはり自殺にあり、我ながらよくもこんな覚悟で法科大学院へ入学したなぁと感じてしまいます。

 法科大学院は私にとって大変な場所でした。

〈なぜ辞めようと思っているのか〉
①自分の能力・適正の問題
 私の入学した未修者コースは法律を学んだことのない人が法曹を目指すための課程です。ですので、最初の1年間で、大学4年間をかけて勉強する法学の基礎知識を詰め込むこととなります。講義の数で言えばそれほど多くはないのですが、予習を前提としたソクラテスメソッドで講義が展開されるため、法学を学んだことのない私にとって予習は必要不可欠なものとなります。基本書と呼ばれる教科書を読み、講義のレジュメに沿った予習を行うのですが、これだけでも一つの講義の予習に3,4時間を要し、復習等もあわせれば1日に10時間弱も勉強をしなくては講義についていくことができなくなってしまいます。今となっては、ただただ自分の認識が甘かったの一言なのですが、「勉強をしながら、自分にやれることを探していこう」なんて考えていた私にとって、入学当初のギャップはとても大きいものがありました。もちろんその程度勉強することは情報として知ってはいました。ただ、それを4か月ほど続けてきた今、疲れてしまってもう頑張れないというところまで来てしまっているのです。最近では勉強時間を確保したくとも、椅子に座っていられなかったり、集中力が続かず、後述する様々なプレッシャーに押しつぶされそうになっています。甘えかもしれませんが、勉強すること自体ができなくなってきているのです。
 そして、自分の能力。私は自分の理解力・記憶力の乏しさを痛感しました。細かなところはおいておくとしても、ここにも私は大きな限界を感じました。

法科大学院の留年・退学等の多さ
 法科大学院はとても恐ろしい場所です。未修者コースに限って言えば、50%程度(全国平均)が3年間の修了までに留年・退学を経験することとなります。入学当初、これは私にとってとても大きなプレッシャーとなりました。なぜなら、留年してしまえば、休職している職場に戻らざるを得ないからです。3年間という約束で休職の許可が下りているので、それが延びてしまえばその許可が取り消されてしまいます。このことは私の精神をとてもすり減らしました。また、未修者コースに在籍する全員が私のように法律を初めて勉強するわけではなく、既修者コースに入ることのできなかった法学部の方々が未修者コースへ入学してくることも大きく関係しています。このように当初から差がついている集団の中での50%。私の法科大学院で純粋に法律を初めて勉強する人は2割程でした。

③私の本当にやりたいこと
 私は父を助けてあげられなかったという後悔をきっかけに、自殺に関することを自分のライフワークにし、今まさに苦しんでいる人、大切な人を亡くして悲しんでいる人のために何かをしたいと強く思っています。法科大学院への入学はその一つの手段でしたが、他に、私は自殺予防に関するイベントの主催も始めています。(この活動が本格化できたのは、法科大学院入学が決まってから。)これは自殺予防のイベントですから、私の本当にやりたいことそのものであるのですが、法科大学院へ入学してから、こちらの活動がおざなりになってしまっているのです。本当であれば両立してやっていきたかったなと思っているのですが、私にこの二つを両立することはできませんでした。また、イベントの方は今とても大事な時期であると感じていて、もっと頑張りたいのになかなか時間を割けないという状況になってしまっているのです。法科大学院がその手段であるのに対して、イベントの方は目的そのものなんですよね。
 7月の上旬頃、近くの大学で開催された自殺予防に関する講座に出席しました。これは社会人向けの自殺をへらそうという趣旨の内容の講座で、社会学の専門家である先生が講義をされていました。その中で紹介された言葉にこんなものがありました。

E・S・シュナイドマン
「死にたいと思っている人をなぜ好きなようにさせてやらないのか」と問う人に対しては、「なぜ死のうと決意する程の悩みを軽くしてやろうとはしないのか」と反論していただきたい

この言葉を聞き、自分でもうまく説明できないのですが、大切なものを忘れてしまっていたなと感じるとともに、法科大学院での生活で張りつめていた心があたたかくとけていくような感覚がありました。法科大学院で勉強に忙殺される中で父のことを考える機会も大きく減っていたことに気がついたのです。
 もしかすると、私は本当にやりたいことから遠ざかっていたのかもしれません。ここにやりたいことがあるのに、私たちには限られた時間しかないのに、こんな遠回りをする意味はないのかもしれない。そんなことを思いました。であれば、全力でやりたいことをやるべきであって、それ以外のことはなにもないのです。

 2021年4月、私は法科大学院へ入学し、7月、法科大学院を退学しようと考えています。なんだか行き当たりばったりのようだけど、そうやってもがいたり、走りながら考えたりすること全部ひっくるめて自分らしいような気もして、それでも良いのかなぁなんていう風にも思います。