しかしこの死のなかには何ら悲哀はなく
僕は、この鎌で麦を刈る人のなかに―—炎天下、自分の仕事をやり遂げようと悪魔のように闘う朦朧とした姿のなかに―—死のイメージを見ました。人間は刈り取られる麦のようだという意味です。(・・・・・・)しかしこの死のなかには何ら悲哀はなく、それは純金の光を溢れさせる太陽とともに明るい光のなかでおこなわれているのです。——フィンセント・ファン・ゴッホからテオ・ファン・ゴッホへの手紙(1889年9月6日)
「弱さ」へのまなざし
「遺族や自殺予防の臨床現場で働く専門職、スピリチュアリティといった様々な視点から、自殺問題を取り巻く「弱さ」に目を向ける。それぞれが抱く「弱さ」をみつめ、自殺予防も含めた「ケア」について、各分野の研究者がそれぞれの立場から迫る、画期的な一冊。」
「日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなに『デクノボー』と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに わたしはなりたい」(原文カタカナ)
無題の日々
巨人が勝っていると機嫌が良かった。ような気もするけれど、野球を見ていてもそんなに楽しそうでもなかったような気もする。
おーい、朝だよーいと起こしてくれた。
何か言いづらいことがあると、ん、ん、ん、ん、と言葉に詰まってた。
何か新しいことを知ると、〇〇は良いぞと教えてくれた。
きっと仕事であれば誰とでも話をすることができた。
50,60となるとそんなものなのかもしれないけれど、私が子どもの頃から友人と遊びにいくというような父を見たことがない。
冗談は言わない。
安いとすぐ買う。なのに使わない。
形見のネクタイがどうだろう、数百本ある。その中で私のお気に入りはイブサンローランの臙脂のネクタイ。でもおとんがつけてたのは見たことがない。
ことあるごとにユニクロに行くか?という。
とりあえずウォーキングへ行く。
長く不動産営業をしていた。
買い物が好き。とりあえずコロッケ。
うきうきしてるときはわかる。かわいい。
おばあちゃんのことを大切にしているのかなんなのか、でも正直にはなれない。
でも義理堅く、必ず毎週かな?おばあちゃんの老人ホームを訪ねてた。
上り調子の会社でそれなりに偉くなったのに、転勤の辞令が出てあっさり辞めた。
家族を大切にしてるのに、いまいち正直になりきれない。
今思えばキャンプにパターゴルフ、野球観戦、釣り、色んなところは連れて行ってくれた。
転職をした時、近くが見えないから履歴書に証明写真を貼ってくれと言われた。私はそんなのも貼れないの!だとかなんとか言いながら写真を綺麗に切り取って履歴書へ貼った。
俳句。
おとんが死んでから作ってた俳句をみた。
勲章が欲しかったみたいなのがあって笑った。
あなたの人生はどんな人生でしたか?
良い人生でしたか?