はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

生きることを肯定するために

 生きることを肯定すること。
 これが私の人生のテーマだ、と以前このブログに書きました。
harumaki12.hatenablog.com

 この肯定は、自分自身と大切な人の生に対する肯定です。
 今回はそれ以降の話、具体的にどんな風にしたら自分自身の生を肯定することができるのか、考えたことを記録しておきたいと思います。

 

感情を大切にすること。
 自分の生を肯定するために、まず大切なのは「自らの感情を大切にすること」だと私は考えています。悲しみ、喜び、怒り、色々とあると思うけれど、生きることは、これらの感情と向き合うことだと思うのです。
 生きていれば、様々な感情が私たちの心の上を通り過ぎていきます。でも、日々の生活の中で私たちはこういう感情を気づかないうちに抑圧してしまっているように思います。だから、


 嬉しかったら、嬉しいって言う。
 悲しかったら、悲しいって言う。
 伝えたい思いがあったら、きちんと伝える。

 

 そんなの当たり前だよと思うようなことではあるけれど、それを実行できている人はとても少ないんじゃないのかな。私たちは知らず知らずのうちに自分の気持ちを抑圧してしまっているし、綺麗ごとだけでは生きていけない。それはわかってる。でも何よりも大切なものとして、私は自分の感情を大切にしていきたいと思います。


 でもね、ここに大きな問題が一つあります。
 自分の感情がわからないのです。ありゃあ。明らかなことであれば問題はないのですが、でも少し問題が入り組んできてしまったりすると、時として私は自分の感情さえ分からなくなってしまいます。ひどい時には、相反する感情が自分の中にあって、その時々でどちらかが優勢になったり戻ったり逆になったりするのです。なんと難しいのでしょう。
 自分の感情がわからないということについては、また考えていきたいと思います。


一生懸命に生きる。
 今日、にっぽんど真ん中祭りでした。私はある会場でたまたま京都の学生チームと障害者の方を含むチームの踊りを見ました。
 学生たちはとても楽しそうに踊っていました。みんな笑顔いっぱいで、本当に楽しそうでした。実際にとても楽しいのだろうと思うのですが、私は彼ら彼女らの、その楽しむことを一生懸命に追及しているとでも言える姿にとても胸を打たれました。なぜだか涙も出てしまいました。
 そしてその後に踊っていた障害者の方を含むチーム。時々、動きが止まってしまっている方がいたりして、踊りのクオリティーは決して良いとは言えるようなものではありませんでした。でもみんな一生懸命に踊っていることが伝わってくるのです。本当に一生懸命に、一生懸命に踊っているのです。気づくと涙が出ていました。
 二つのチームの踊りを見て、私は「ひたむきに頑張る姿」に感動していたのだと思います。一生懸命に頑張る姿はこんなにも美しく、穿った見方をしたり、理屈をこねくり回している私にはすごく眩しく見えました。


 彼ら彼女らのように一生懸命に生きることができたらと、私は強く思いました。