はるまきさんの記録

自死遺族として考えたことを記録します。

命日と後悔と

先日、父の命日でした。

母に確認すると、「たまたま休みになった」ということでしたので、平日でしたが私も休みをとって前日の夜から実家に帰ることにしました。
その日は、父のお墓と仏壇に備えるための花を母と買いに行き、父の墓参りにいきました。その後は法事のお返しを選びに行き、お昼を家で食べたあと、私は免許の更新に行きました。私が免許の更新に行っている間、母は仕事の研修資料を作っていて、私が帰ってから同期のサクラを一緒に見て、少しすると歯医者に行きました。母の歯医者の後は2人で回転寿司へ行ってお寿司を食べました。命日はこんな風にして母と過ごしました。

その中で少し、母は父のことについて話をしました。父は失踪した翌日、公園の公衆トイレで亡くなっているのが見つかったわけですが、「失踪して丁度これくらいの時間、お父さんが帰ってこなくて心配だった」と言いました。それを聞いた私はうんそうだね、というようなことを言いました。

私自身も一年前のこの時はこうだったなとかよく思い出すのだけど、 命日を迎えて、もうそれは一年以上前の話になってしまうのだな、と寂しく思います。こうやって時間が過ぎていってしまうのは嫌だな私は。時間だけが進んでいってしまうのです。

お墓にお参りに行ったり仏壇の前にいると、少し前までは「なんで自殺なんてしたのか、ばか。」という気持ちが勝っていたけれど、今はごめんねという気持ちが強くなってきました。
最後に会った日、母は仕事に出ていて、父と私は休みでした。特に予定も無かったので、私はお昼ご飯を父と一緒に食べて一人暮らしのマンションへ帰ったのだけど、その日私はAさん(当時好きだった人)とのLINEに夢中になっていました。父に悪いなとは思いながらも私はLINEばかりしていて、父は私を駅まで送っていくためにどこへも出かけず、時間を調整してくれていました。最後、駅について車から降りたとき、私は「今日はごめんね。」と言いました。それに対して、父はなんにも言わずに気をつけてとか、そんなことを言ったような気がします。そして、じゃあねと言って別れました。私が父に最後に会った日はそんな風で、父が自殺する18日前でした。
その時には父も精神的に余裕がなくなっていたはずです。それに私は気がつかないばかりか、負担をかけてしまっていました。
おとん、ごめんね。

他にもあります。
去年の8月頃、お盆で帰省していたとき、父は「最近眠れない。」と言っていました。後から思えばそれは、うつ病の症状の一つなのだけど、それに対して私は元気が余っているんじゃないかと、父の言葉に対して全く向き合わないどころか、そうやって話してくれたことを笑い飛ばすような言葉を言ってしまいました。
本当にごめんね。この時にきちんと向かい合えていたら何か違っていたかもしれないよね。

それに、もっとちゃんと親孝行をしておけば良かった。
父に対しては何一つ親孝行をすることができなかったように思います。与えられてばかりでした。せめて一緒にお酒を飲んであげれば良かった。父は毎日のようにお酒を飲んでいたけれど、なんだか気恥ずかしくて一緒にお酒を飲むことすら、私はしなかった。

事実として、私の父は自殺したのだけど、父が自殺をしたことが未だに信じられない。父が生きていくうえで、自殺という選択肢を持っていたことが信じられない。自殺という言葉は当然に知っていたはずだけど、それを実行しようとしたことが信じられない。でも、こんな風に思うのは私が父のうつ病に気がついてあげられなかったからで、そうであるなら、私にこんなことを言う資格は無いとも思う。

私が父の自殺について話し始めた理由

昨年の11月、私の父は首を絞めて自殺しました。
大きな不自由もなく、温室育ちを自称していた私としては、人生において初めての衝撃的な出来事でした。本当に父の自殺は残念でしたし、悲しかったです。このブログに書いてきているように、私の中はまだまだぐちゃぐちゃです。でも、今日はなぜ私が父の自殺についてこんな風に話し始めたのか、それを記録しておきたいと思います。
 
父が自殺をして家に帰ってきたその日、母は兄と私に父の自殺に至るまでの話をしてくれました。
時々にしか帰省していなかった私は気がつくことができなかったのですが、母によると父は精神的にかなり追い込まれていたとのことでした。数か月前には趣味だったカラオケや俳句の教室を辞め、自殺の1月前くらいからは「仕事ができなくなった、頭がまわらない」と母に相談していました。今までできていたことがなぜかできなくなったということで、食料品を買いに行くことも億劫になっていました。
自殺の1週間ほど前には近所の大きな公園へ行き、母と父は散歩をしながら「今までに無いくらい」たくさん話をし、10日後ほどに迫っている父の仕事上の重要な日まで一緒に頑張ろうと話をしました。
自殺の前日の朝、父は起きてきた時に「頭がおかしい、入院したい」と母に訴え、一緒にかかりつけ医を受診、医師からは心療内科への受診を勧められましたが、母としては認知症ではないかという考えがあったので、脳の検査をできる病院への紹介状を書いてもらいました。ところが、その後急にどうしても外せない仕事があると父は言い出し、仕事へ行きました。そして、父は翌日も仕事へ行き、昼頃、弁当を買いに行くと言って会社を出たきり行方不明となりました。
そんな話を聞いて、私は母のことが心配になりました。もちろん、私も父が自殺をしたという悲しみを感じてはいたのですが、それ以上に、母は今どんな気持ちなのだろう、その悲しみは想像を絶するものがあるんだろうな、ということを強く感じていました。だから私は母を支えたいと思いました。
 
それからは、実家から職場へ通うことにしました。もう後悔はしたくないので、しばらくは母と一緒に過ごそうと思ったのです。以前は職場から15分ほどのところで一人暮らしをしていたのですが、2時間かけて実家から職場へ通うことにしました。父が死んで、私は母と二人暮らしをすることになりました。久しぶりに母と一緒に暮らす中で、私はそれまで実家ではろくに作ったことも無かったのに、毎晩母のために食事を作りました。レパートリーは多くないけれど、母は私の作るほうれん草とベーコンのキッシュが一番のお気に入りで、美味しいと言ってくれて、何度か私は作りました。母からお母さんみたいと言われたのは、恥ずかしいような嬉しいような変な気持ちでした。そんな風に毎日母のいる実家に帰り、母の好きなテレビドラマを一緒に見ながら過ごした日々は、静かで良い日々でした。
 
そんな頃でした。私は、市が主催する自死遺族を支援するためのセミナーがあることを知り、行ってみようと思って申し込みをしました。夫を自殺で亡くした母を、少しでもうまく支えられるようになったら良いなぁというような、そんな気持ちでした。
当日は雨がぱらぱらと降っていました。セミナーの会場には4,50人の人がいて、会場の雰囲気はよくある研修のそれでした。講師の方は臨床心理士で、当時は良く知らなかったけれど、自死遺族自助グループの代表の方であるとのことでした。
講義が始まってすぐ、講師の方が自死遺族の心情をレジュメに沿って説明をされている時でした。
「・・・自死遺族は贖罪感や加害者意識などに・・・自死遺族は強い無力感や孤立感・・・」
私は、あれ?と思いました。涙が溢れて、資料へこぼれ落ちてしまったのです。私は、あれ、おかしいなと思いながら、いやいやそんなことない、大丈夫と自分を落ち着かせようとしました。けれど、全然うまくいきませんでした。その間にも、講師の方は淡々と、自死遺族がどんな風に考えているのかということをパワーポイントを使って説明していきます。それはもう、私自身の気持ちでした。私はここに来たことを後悔しました。間違えちゃった。私は涙がとまらず、生まれて初めて叫びだしそうになるほどの感情が、悲しみが爆発しそうになりました。頭がおかしくなりそうでした。そしてその一方で涙がとまらないのです。私は荷物を乱暴にまとめて抱え、研修室の外へ出ました。部屋を出る時、部屋の後ろにいた運営側と思われる方が何か言いたそうにしていましたが、研修室で急に嗚咽し始めて、急いで部屋を出る私には何も言えなかったようでした。部屋を出て、私はロビーのような場所の円形のソファーへ座り、嗚咽を漏らしながら、震える手で抱えていた書類や筆記用具をリュックへ入れました。
 
今はこんなブログを書いている私なので信じられないかもしれませんが、この時まで私は自分自身の悲しみにはほとんど気がついていませんでした。母を支えたいという気持ちだけで動いていたのです。でもこんな風にして初めて、私は自分自身も悲しみと苦しみの渦中にいることに気がついたのです。だから私自身も悲しみに、父にきちんと向き合わなければいけない。それは私自身のためであるし、そうしなければ母のことを支えられるはずもないだろうと思ったのです。
 
そうして私は初めて自死遺族会へ行って父の自殺について話をし、このブログへ父の自殺について書き始めました。

1周忌と私の現在地

実際の命日は11月の下旬ですが、先日、父の1周忌を行いました。
家族と親戚合わせて十数人が集まって法要を行い、納骨をしました。母と兄と私で選んだ暮石は、青空の下で輝いているように見えて、良かったなと私は思いました。
なんだか最近家族や親戚が増えています。結婚、出産。今回集まった中には2歳以下の子どもが3人もいました。そして、新しく親戚になった旦那さんや奥さんがいます。私は人見知りなのでなかなか打ち解けた話をすることができていませんが、こうやって家族や親戚が増えていくことって素敵なことだなぁと思います。
 
法要の前日、自死遺族会へ行きました。7回目の参加だったので、泣くことはもうないと思っていました。けれど、会が始まってすぐはちょっと説教くさくて嫌だなぁなんて思っていたコーディネーターの方の話の引き出し方、持って行き方が上手だったからか、久しぶりに泣いてしまいました。
その中で思ったことは、今までにこのブログでも色々と書いてきたけれど、父自身のことにはまだまだ全然向き合えていないし、色んなことがわからなくなっているなぁということ。色々と考えてきたようにも思えるけれど、それは父の死を受けてどのように家族と接していったら良いのかとか、自分がどんな風に考えるようになったとか、そういう父の死の周辺のことなのかなぁって。
でもそれが悪いとかそういうわけではなくて、他の方の話を聞いたり、コーディネーターの方とのやりとりから、自分のペースで自分なりに、こうしたいって思えるようにやっていけば良いんだとも思えたんです。時にネガティブでも良いじゃない。しばらくここにいたって良いじゃない。じたばたしたって良いじゃない。
そうだよきっと。
今の私には、親孝行をしてあげられなかった父が自死で亡くなった分、母に寄り添えるようにしたいっていう気持ちや、大切な人をもう失いたくないからもっとうつ病や自殺について知識をつけたいっていう気持ちがあります。こういう気持ちを大切にしたいと思うし、自分自身の悲しみや父に向き合うグリーフ・ワークもやっていきたいなって思います。
じたばたしてやりましょう。